先日、母が永い人生を卒業しました。

今年のゴールデンウィークに「危険だから」と招集がかかって、そこを持ち堪えたのですが9月に入ってまた招集がかかって・・・。

 

母は、僕の一番身近な先生でした。

小さい頃から沢山の事を教えてもらいました。

小学生の僕に「若い時の苦労は買ってでもしろ」とか「可愛い子には旅をさせろ」とか「一事が万事」とか「情けは人の為ならず」とか、そんなことわざをよく言って教えてくれました。

ある時「親」という漢字を覚えさせる為に、「親とは、立木の陰から子供を見守る事しか出来ない。そういう存在が親なんだ」と説明してくれました。

とりあえず漢字は覚える事が出来ましたが、その意味は分かったような分からないような感じで、それが理解できたのは20年後くらいですね^^;

 

小さい頃の僕は、よく母とケンカしてました。

その時のケンカは、なぜか分からないけど「髪の毛の引っ張り合い」で、お互い泣きながらどちらかが諦めるまで引っ張り続けるって感じでしたね。

母も手加減せずに僕の髪を引っ張って、あれでどれくらい毛根が鍛えられた事か(><)

小さい頃から筋力があった僕でしたが、ある時母が「お前の力は、人を傷つける事も出来るし、人を助ける事も出来るから、どうせなら人を助ける事につかいなさい」(正確ではないけど、こんな内容)と諭しました。

その頃の僕は、そんなに暴君だったのかな?(-_-)

またある時は、「顔を見られる事が嫌な人もいるから、人の顔をジロジロ見るもんじゃない」と、人の事を考える母でしたが、そのお陰で僕は、人の顔を覚えるのが苦手になったんじゃないかと思えるのですが・・・

 

僕が幼少の頃の母は、仕事として農家の手伝いをしていました。

なので、保育所に迎えに来るのは、いつも遅い時間でした。

雨が降ると農家の仕事が休みなるので、早く迎えに来てくれたり、家に居てくれたので、その頃から雨が好きでした。

また、そんな忙しくしていて、料理を作るのも得意ではない母だったおかげで、今では大概の料理を「美味しい」と思えるようになりました(^O^)

 

サラリーマンを辞める時も、親に報告に行った際に「仕事辞めるわ」と言った僕に、しばし無言の母が「どうせ決めたんだろうから、何を言っても変わらないんでしょ?」と。

さすが僕の性格を知ってるな!と感心しました。

 

ずっと前から、「いつか母が居なくなる」という事を想定して、母に関する記憶を心のタンスに仕舞いこんで、思い出さない訓練をしてきたので、断片的にしか思い出を引き出せません。

思い出したら色々と後悔したり、悲しくなったりしちゃいますから~(ToT)

僕がバカ話をして、笑っている母の記憶は心のタンスに仕舞えないので、不意に思い出してしまうのですが、たぶんあの母なら「笑っていなさい」と言うと思うので、名前に負けないように明るくしています。

 

沢山心配をかけて、沢山親不孝をしてきた僕ですが、数年前に「この仕事に出会えて、本当に幸せだと思える」と話をした時に、ちょっと嬉しそうにしていたのが、唯一の親孝行かな?と思っています。

 

なんだか、思いつくままに書いてしまいましたが、僕の中の「何か」に区切りを付ける為にこの投稿を借りました。

母は、人生を卒業して、目に見える所には居ませんが、僕の心のタンスがある限り「ここに存在」しています。

そして、またいつか会いましょう。

 

「母親」という生き物は、本当に偉大です。